ある先生の前にだす症例は、抜歯せずに治った例ばかりで、抜いて治療した例は、引き出しにしまっておいた、といった話はよくあったそうです。
その証拠に、A博士が一九三○年、それを追うようにD博士も一九三三年に他界すると、たちまち抜歯不可避論に転向する人が続出したのです。
やはり「調節抜歯」は覇現実的には必要な考え方だったということなのです。
もともとAは、できれば歯は抜かない方がいい、という意見の持ち主だったようです。
なぜならAの教科書には、随所に抜歯をして治療した写真がのっているからです。
注意深く読めば、Aは「抜歯基準」さえ発表しているのです。
私は史実を正確に伝えるために、教科書や出版物にこのことは明記しています。
これまでの定説を覆すようなことを書いたので、異論がでるかと思っておりましたが、矯正歯科界での最長老のY名誉教授(K歯科大学)も、この事実をご存知で「よく調べて書いてくれた」とお褒めの言葉を頂き、後輩としては非常に励みになりました。
博士も学会誌に、「A先生は抜歯不可論者ではなかった」と紹介しています。
このS博士が書かかれた「歯科矯正学その理論と実際」は不朽の名著として知られています。
その量が豊富でしかも内容が精密なことから「エンサイクロペディア」、百科事典この別名があるくらいです。
とにかく大変な読書家で、博学かつ温厚な紳士です。
また、D博士を心から尊敬していた方です。
ケンタッキー・バーボンを飲みながら抜歯論をめぐる事情を話されるのを、夜遅くまで伺ったことを思い出します。
今からもう三十年以上も前になりました。
このとき、先生は、コーヒーはブラックがお好きなので理由をお聞きしたところ、ラック党になりました」というエピソードを話されたことが印象に残っています。
砂糖は歯に良くないから、という答えを期待していた私には、恩師に対する礼儀を改めて教えられた思いでした。
歯が生える場所が足りないので、歯を抜く。
なるほどこれは「便宜抜歯」かもしれません。
上顎前突で上あごの歯を抜くのはともかく、なぜ下あごの小臼歯までも抜くのか、また逆に下顎前突の患者さんの下あごはまだしも、なぜ上あごの小臼歯まで抜くのでしょうか。
どこまでが便宜的で、何が調節的なのでしょうか。
この疑問は、歯を抜かれる患者さんならずとも必ず聞かれる問題です。
実際のところ、昭和三十年代までは、前突しているあごの小臼歯だけ抜いたものでした。
これは、日本だけではありません。
私が留学していたS大学のZ歯科病院の研究員からも、まったく同じ質問を受けて驚いたことがあります。
K大統領が暗殺された年ですから昭和三十八年のことでした。
確かに先進国であるアメリカの歯医者さんの卵でも、歯列矯正のために、直接関係のなさそうな歯を抜くことにはみんな同じ疑問を持っていたのです。
その理屈とは、こうです。
上下の歯列は、一本一本の歯が、上下で歯車のように巧みに噛みあっているのです。
もちろん正常噛合の場合です。
第三大臼歯を除いたとして、ひとつのあごに十四本の歯が並んでいます。
その左右第一小臼歯を抜けば十二本になります。
前突していない側の歯列には十四本の歯があります。
十二のヤマと十四のヤマの歯車がうまく噛みあうでしょうか。
一本ぐらい噛みあわなくたって大した問題ではない、と思う人も多いでしょう。
矯正した歯列が、良く噛めないのです。
これでは噛合は安定しないのです。
つまり、矯正した歯並びの後戻りの大きな原因になるばかりでなく、機能的な意味で、顎関節症という新しい噛合障害の問題が出てくるのです。
多くの失敗例から、こうしたことが分かってきたのです。
そのとびでた犬歯を抜くのが一番手っ取り早いのでは、という考えを持つ人が多いと思います。
治療時間的なことを考えれば、まさにその通りですが上あごの犬歯は抜かない方がよいのです。
理由をあげると、ふけた顔つきになる。
以上の理由で、原則的に犬歯は抜かないことになっています。
これはあくまでも原則であって、絶対に抜かないわけではないのです。
上あごの二番目の側切歯と四番目の第一小臼歯が殆どくっついている例では、この原則を破ることはありうることです。
例外のない規則は、やはりないのです。
たしかに、見た目に大変不自然な感じになることが多いのです。
笑った時なとおりです。
八重歯の時の犬歯は抜くのでしょうか。
これは日本人に大変多い歯並びで、九三頁でも触れた左右の片側だけ抜くのも感心しません。
犬歯は力が強い歯で、正中線がどちらかにズレル可能性が高いのです。
こうして、犬歯を抜いた後のことを書けるのも、実は、私も禁を犯して犬歯を抜いたことがあるからです。
抜くのもそれなりの悪条件の下でも何とかしたい気持ちがわくからです。
考えに、私は大賛成です。
絶対に抜かないとか、どういう場合でも抜いてしまうという機械的な考えには反対です。
後で述べるベッグ法では当然のように上下四本の第一小臼歯はもちろん、ひどい上顎前突ではこれに加えて四本の第一大臼歯を抜くことがあります。
合計八本のです。
長方形の切歯のすぐ後ろに、頭が二つある小臼歯が並んでいるので、「口中歯だらけ」の印象を与えます。
また、一小臼歯を抜いても、似たようなことはおこるという矯正科医もいます。
J博士がその人です。
彼は自分が十三歳の時に上下左右の第一小臼歯四本の抜歯を受けて治療したが、顔の成長が妨げられたと主張しています。
抜歯不可論のD博士が喜ぶような論文です。
下あごの犬歯もやはり抜かないほうがいいようです。
いくら頑張って治療をしても、U字形の歯列は隣り合った歯冠がキレイに連続せず、抜いた後のスペースがどうしても残る感じになる抜歯です。
きっと抜歯不可論のD博士はいうに及ばず、抜歯不可避論のK先生もこれを聞かされれば、きっと目をむいて驚くことでしょう。
なぜこんなにも歯を抜くのか。
ベッグ理論の論拠を調べてみましょう。
にご高齢で温厚な紳士でした。
講演も静かな語り口でした。
残念ながら数年前になくなられ、ついにAのお弟子さんは全員亡くなってしまいました。
アメリカの留学をおえたB先生は、オーストラリアのアデレードで材料不足に悩みながら静かに独自の方法を研究開発されました。
オーストラリア大陸には、地球物理学はもちろん、生物学の研究には欠かせない、非常に特殊な種類の生き物が沢山発見されることはご存じのとおりです。
この特殊な環境の中で、現代人の生活とは遠く隔絶した独特なオーストラリアの原住民アボリジニーがいます。
生ける化石人類という人もいます。
この原住民たちには、悪い歯並びの人が少ないのです。
なぜ、原住民たちに悪い歯並びのひとが少ないのか。
彼の学問的興味は、この点に集中しました。
昔から、この原住民たちは狩りの名人です。
ブーメランを発明したのも彼らです。
「く」の字に曲がったあのブーメランは、表面には碕麗な丸みがあり、裏面は平らで、飛行機の翼と同じで原理で、揚力がつくようになっています。
このように科学者でもあるアボリジニーも、食べ物には「どうも?」というところがあります。
たとえば捕まえたカンガルーの食べ方です。
獲物を蒸し焼きにしますが、木の枝や葉っぱでカンガルーの上と下をおおい、蒸すために、さらにその上に砂をかけるのです。
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